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歴史において、敗者の成功の痕跡は勝者により徹底的に抹殺される。天下人秀吉の栄華の記憶も家康によって、その多くが抹殺された。 豊国廟への階段は延々と続く 秀吉の亡きあとの記憶を求めて東山山麓を散策した。 東山七条交差点から女坂を汗を拭き拭き豊国廟に向った。丁度、午後の授業前で、沢山の学生さんがせわしく往来していた。 京都女子大脇の鳥居をくぐると豊国廟の入り口が有った。急に静寂の世界に引き込まれる。暑さのせいか、他の参拝客は皆無だ。うっそうとした木々に囲まれた薄暗い石段が、空に向ってまっすぐ伸びている。長い長い石段の先、阿弥陀ヶ峰の山頂に、秀吉の墓所は有った。とても巨大な石の五輪の塔(10m)が秀吉の墓所で有った。 1598(慶長3)年に秀吉が病気のため63歳で亡くなり、その遺言で阿弥陀ヶ峰に造営された。 ところが、秀吉の墓所は、1615年に豊臣家が滅亡するとともに廟と社殿が破壊され、墳墓も野ざらしとなった。 現在のような形で復元されたのは、1897(明治30)年(秀吉300年忌)になってからと言う。 豊臣の大坂城の痕跡同様に、秀吉に関わる構造物は、ほとんど残存していない。 アクセス:京阪七条駅から徒歩30分 豊国神社と太閤石垣 豊国廟の階段を下り、東大路通を渡り京都国立博物館に沿って進むと、やがて豊国神社の立派な太閤石垣が現れる。 豊国神社は、元々方広寺の鎮守社であった。秀吉が1598(慶長3)年に阿弥陀ヶ峰に葬られるとともに、秀吉は山腹に造られた豊国神社に祀られた。しかし、豊臣宗家が滅亡するとともに、破壊され、神号も家康により剥奪された。 神社はようやく明治13年になって再興され、方広寺の大仏殿が有った場所に再建された。 石垣は、秀吉が諸国の大名に命じて組ませたもので、建立時の方広寺の格調を示す堂々としたもので有る。豊臣大坂城の野面積みの石垣(小田信長の築城を引き継いだのでは有るが・・)とは明らかに違う、京都における安定した強力な権力が感じられる。 豊国神社の堂々たる唐門 写真の堂々たる唐門は、西本願寺の唐門と同様に伏見城の遺構とされる。 アクセス:京阪七条駅から徒歩7分 参考:大阪城の豊国神社は、当豊国神社の分社で有る。1879年に分社化し大阪中之島 (現大阪市役所の一部等)に建設、昭和36年に市役所拡張により大阪城内に移設されている。 秀吉の野望の寺が豊臣家滅亡へと導いた 豊国神社の脇にひっそりとした風情で建っているのが方広寺で有る。1586年に秀吉によって奈良の大仏より大きい木製の高さ19mの大仏を安置するための寺が発願された。 1595(文禄4)年に創建され、東西210m、南北260m程度の石塁を有する西向きの伽藍を持つ壮大な建造物であった。大仏殿は、現在の方広寺から豊国神社、京都国立博物館を含む範囲におよんでいた。 しかし、伏見大地震で1596年(慶長元年)に大仏が崩壊した。 秀吉の没後、家康の勧めで豊臣秀頼と淀殿によって再建されたが、1602年に再度災いが生じ、焼失したとされる。 さらに再建が試まれ、1612年にようやく完成した。 その後、梵鐘が1614年に完成し、南禅寺の僧が銘文を起草し、落慶法要までたどり着いたが、家康より「不吉な語句有り」と指摘され、その後の徳川家、豊臣家の戦いに発展したとされる。 現在、残っているものは、この大坂冬の陣のきっかけとなったとされる因縁の梵鐘のみで有る。この梵鐘は、日本3大名鐘の一つとして数えられる。巨大な鐘で重さは、82.7tにおよぶ。 参考:東大寺、知恩院および方広寺の鐘を日本日本三大名鐘と称しています。 ねねは東山山麓で晩年を過ごした 豊国寺から五条通に出て東に歩き、さらに北東へ向かうとねねの道に至る。場所は、豊国廟の北1.2kmほどのところで、そこにねね(北政所)が晩年過ごした場所が有る。 秀吉の没後、それまでの住まいとしてた伏見城の化粧御殿と前庭をこの地に移築し、ここを住まいとして晩年の19年間を過ごした。 ねねの死後、ねねの住まいは、彼女の没後9年目に甥の木下利房によって、彼の菩提寺(圓徳院)として生まれ変わった。高台寺の塔頭の一つとなっている。 台所坂は高台寺へのかよい道 圓徳院を出ると目の前に、台所坂が東山へ向かって伸びている。この坂を登ると高台寺に至る。高台寺は、秀吉の正室であった高台院(ねね)が秀吉の菩提を弔うために1606(慶長11)年に建てた寺で有る。高台寺には、伏見城の方丈と茶室が移設された。 当時、家康は政治的配慮から様々な援助を行ったと言う。 ねねは、台所坂を利用して、毎日のようにせっせと高台寺に参拝したと言われている。 参考:ねねは、おねとも呼ばれた。北政所とは一般にねねの事を指す。秀吉の死後、出家して高台院となった。 秀吉の死後、出家して一途に秀吉の菩提を弔ったねねの生きざまは凛としていたと思われる。戦乱の世の掟にこだわって散っていった茶々と対照的で有る。ねねの決断によって、長期にわたる比較的平穏な日本が誕生するきっかけが生まれたのかも知れないと思いつつ東山を歩いた。 アクセス:京阪祇園四条駅から徒歩10分 |
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